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札幌家庭裁判所 昭和55年(家)3510号 審判

申立人 木田史夫

事件本人 小山トクこと木田トク

主文

本件申立を却下する。

理由

第一申立人は、福島県白川郡○町大字○○字○○××番地、筆頭者木田トクの戸籍中、事件本人につき、その身分事項欄に、「昭和二三年二月二八日午後一一時三〇分北見市○○○×丁目×××番地で死亡同月二九日同居の親族小山サチヨ届出除籍」と記載して、戸籍を訂正する旨の審判を求め、その事情として、申立人は、事件本人の孫にあたるところ、事件本人は、終戦後、樺太から北見市内に引き揚げてきたものであるが、その後の昭和二三年二月二八日午後一一時三〇分ころ、同市内で死亡して、その旨の届出がなされたものである。ところが、同女の戸籍面では、その旨の記載が遺漏しているので、その旨を記載したうえ、同女の戸籍を消除することの許可審判を求めて、本件申立に及んだものである、と述べた。

第二本件記録に編綴する各戸籍謄本、除籍謄本、小山サチヨ作成の北見市長あての死亡届謄本(医師○○○作成の死亡診断書を添付)、中山サチ(「小山サチヨ」の誤記と思われる)願出にかかる北見市長作成の執葬認許証謄本、事件本人(「小山トク」と記載)に関する○○寺作成の埋葬遺骨の記録(写)、及び、札幌家庭裁判所調査官○○○作成の戸籍訂正許可事件調査報告書によれば、次のような事実が認められる。

一  事件本人(旧姓、黒木)は、石川県珠洲郡○○村出身で、はじめ木田竹蔵(明治四四年死亡、北海道桧山郡○○村出身)と婚姻して、戸籍上「木田」姓を名乗り、同人との間に、長男の木田正太郎(明治三三年八月二四日生、昭和五三年死亡)を含め、男三人・女三人の子を儲けたものである。

申立人は、上記の木田正太郎と太田フミ(福島県東白川郡○○村出身)との間に、婚姻外(内縁)の子として出生したもので、事件本人は、申立人の祖母にあたる間柄である。

二  ところで、事件本人は、夫の木田竹蔵が、明治四四年七月一一日に死亡したので、間もなく樺太に渡り、同地で小山与一郎(本籍、福島県東白川郡○○村大字○○字○○××番地)と内縁関係を結び、事実上「小山」の姓を名乗ることとなり、同人との間に、大正二年五月一八日、婚姻外の子(庶子)として、小山サチヨを儲け、樺太大泊郡○○町大字○○字○町○○通り××番地で、飲食店を経営しながら、家庭生活を送つていた。

三  ところが、昭和二〇年の終戦の少し前ごろ、事件本人は、小山サチヨと、その家族(忠夫、ミチコの二人の子供、いずれも事件本人の孫)と共に、樺太から北海道へ引き揚げて来た。

その後の経緯については、調査の結果によるも、明確にならない部分もあるが、事件本人は、その後も、戸籍上「木田」姓であつたのに、通称名「小山」を引き続いて使用していたもので、同年九月中旬ごろには、旭川市の北部にある○○部落(現在の北海道上川郡○○町)に居住して遠い親戚にあたる人の世話になつて、療養生活(脳溢血)を続けていたが、そのうち、左半身不随症となつて、寝たきりの状態となり、その後、引揚援護局の好意と指示によつて、北見市○○○×丁目×××番地所在、引揚者寮であつた○○荘へ移動して、同荘で居住していたが、老衰の程度が著しくなり、昭和二三年二月二八日午後一一時三〇分ころ、当時、満七七歳で、老衰により、前記の○○荘内で死亡するに至つたものである。

四  そこで、同居の親族であつた小山サチヨ(事件本人の娘)が、死亡した事件本人について、通称名の「小山トク」として、同月二九日、住所地を管轄する北見市長○○○○○あてに、医師○○○作成の死亡診断書と共に、その死亡届を提出したものであり、さらに、同日、小山サチヨにおいて、事件本人につき、北見市長から火葬の認許を受けて(火葬料免除)、同年三月二日、北見市○○共同火葬場で、事件本人が執葬されたものである。

五  なお、小山サチヨは、昭和五二年四月一〇日に死亡したが、その直後において、申立人の父である亡木田正太郎とその親族らは、小山サチヨが生前所持していた事件本人の遺骨を、田辺小太郎(明治三五年八月九日生、小樽市出身、小山サチヨが再婚した夫)から受領して、これを、札幌市内の○○寺の世話により、北海道厚田郡○○村にある○○記念墓苑に埋葬したが、その骨箱の記録には「○○○○信女、俗名小山トク、行年七九歳、昭和二三年二月」と記載されており、行年七九歳は、数え年計算によれば明治三年生れを指し、また、「昭和二三年二月」は、同女の死亡の年月を指すものと思われる。

第三以上のような認定事実、及び前記の死亡届におけるその他の記載内容を総合すれば、申立人が主張するように、本籍福島県東白川郡○町大字○○字○○××番地、筆頭者木田トクの戸籍中の事件本人(木田トク)と、小山サチヨ作成の死亡届(北見市長○○○○が謄本として作成したもの)の対象となつている「小山トク」とは、その表示を異にしているが、結局において、同一人物であると認定するのが相当である。

第四しかしながら、前記の死亡届には、その対象者の特定として、氏名を「小山トク」とし、本籍を「樺太大泊郡○○○町××番地」とし、かつ生年月日を「明治二年五月一六日生」と記載しており、ここに、事件本人の戸籍名が「木田トク」で、本籍が「福島県東白川郡○町大字○○○○××番地」で、生年月日がちようど一年遅れの「明治三年五月一六日生」であることに思いをいたせば、届出人の小山サチヨが作成・提出した死亡届自体において、事件本人の表示(特定)として、不正確(不備)であつたとのそしりは免れず、該死亡届を受理した北見市長(戸籍事務管掌者)において、戸籍上何らの記載もできなかつたとしても、これは止むを得なかつたことと思われるが、理由の如何はさておき、上記の死亡届によつて、事件本人について、戸籍上、死亡した旨の記載がなされず、結果的には、これが、現在、戸籍面で、遺漏していることは明らかである。

第五ところで、本件において、申立人は、戸籍訂正の方法により、その是正を求めるところであるが、もともと、戸籍法一一三条による戸籍訂正とは、現実になされた戸籍の記載を対象として、これが法律上許されないものであるとき、又は、その戸籍の記載に錯誤や一部の遺漏があるときになされるべき措置であつて、本件のように戸籍の記載が全くなされていない場合には、訂正すべき対象となる戸籍の記載が存在しないのであつて、かかる場合に、遺漏を理由にして、その旨の記載を命ずることは、戸籍訂正として、その範囲を超えており、このような措置が、戸籍法一一三条を根拠に許されるべきものではないと解せざるを得ないところである。

第六そこで、本件のような場合に、どのような措置がなされるべきかが、問題となるので、以下、一言付記するにとどめる。

本件で、事件本人が生存しているとすれば、満一一〇歳となるので、戸籍事務管掌者において、その内部的な事務処理手続に基づき、死亡したものと認められる一〇〇歳以上の高齢者に対する職権除籍の方法がなされる場合のあることはさておき、本件において、事件本人につき、死亡した旨の戸籍記載が遺漏したのは、前記認定のとおり、もともと届出人による死亡届の不正確(不備)によるものであるから、やはり、原則的には、戸籍法四五条の規定の趣旨により、すでになされた死亡届の補正ないし補充をなすべきものであつて、その方法としては、届出人側において、事件本人の本籍や生年月日の誤記を訂正し、かつ、氏名についても、届出書に記載してある死亡者名は、通称名であつたのであるから、あらたに戸籍上の氏名を補充して、その間に同一性を認め得る旨を説示した届出の追完(申出書)を提出すべきこととし、これによつて、戸籍事務管掌者において、さきの死亡届とあわせて、所定の事務処理に基づき、事件本人につき、戸籍上、死亡した旨の具体的記載がなされるべきものと解するのが相当である。

(なお、前掲の各資料によれば、本件において、前記の死亡届の届出人である小山サチヨが、すでに死亡していることが明らかであるが、事件本人の親族である申立人等においても、これをなし得る余地があるものと解される。)

第七そうだとすれば、本件申立は、前記のとおり、戸籍訂正の範囲に属しないものについて、その訂正を求めるものとして、不適法というべきであるから、これを却下すべきものとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 野口頼夫)

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